なめがたダイアリー/茨城県行方市の取材記事をお届け!
~子供たちの健やかな成長と五穀豊穣を祈願し、御輿・大鉾・猿田彦が町内を練り歩く~
大宮神社例大祭
開催日:令和5年5月4日(木)、5日(金)
4年ぶりに開催された、大宮神社例大祭!
行方市役所玉造庁舎のある県道116号線。玉造商店街を神輿・大鉾・大榊(猿田彦)・山車曳きが威勢よく練り歩きます。
今回は「神輿・大鉾・大榊(猿田彦)」をメインに記事にしました!
玉造のお祭りを初めて見る方にも、画像で楽しく読んでいただけたら嬉しいです♪
拍子木の音、担ぎ手の掛け声、山車から聞こえるお囃子。5月の空のような清々しい笑顔!
大宮神社から町内に渡御し御仮屋へ。移動時には、ほら貝を吹き鳴らし「祭り」を知らせます。
玉造城主が始めたと伝えられる祭礼で子供たちの健やかな成長と五穀豊穣を祈願し、毎年5月4日、5日に行われます。期間中は神輿・大鉾・猿田彦が玉造地区を練り歩き、霞ヶ浦浜地先で御浜降りを行います。山車巡行も行われ、山車の上ではおかめ、ひょっとこ、きつねがお囃子にあわせ踊りを披露します。
※行方市観光なめがた公式HPより出典
当番の町内では早朝から男の人達で赤飯を作り、祝います。
お祓いの後、神輿を先頭に大鉾、大榊(猿田彦)と続きお仮屋に安置します。
次の日に「お浜下り」といって、神輿を先頭に浜の岸辺へ担いで行きます。
(昔は水につけたそうですが現在はしていません。)
祭の最後を飾るのが流鏑馬で、的納めの神事として、神社の前に神輿を安置してから行われます。
※「玉造町史」より抜粋
今年の神輿は内宿地区、大鉾は加茂地区、天狗(猿田彦)は横町です。
天狗(猿田彦)、大鉾、神輿の順番で街中を練り歩きますが、おひねりをいただいた家や商店の前では一層威勢よく担ぎます。特に天狗(猿田彦)や大鉾は掛け声の後に地面に勢いよく打ち付けるのが厄払いになり、縁起良いとされていることから、ひと昔前までは祭りの終わるころには壊れてしまうこともあったとか…
※お祭りに登場する天狗(猿田彦)について以前記事にしたものがあります。
神輿
天狗(猿田彦)
大鉾
玉造城は、別名を轟城とも称します。現行行方市立玉造公民館前の竹林に囲まれている台地に位置し、比高15mほどの曲輪が並ぶ連立式城郭でした。城が築かれたのは室町中期の寛正年間(1460~66)で、戦国末期の元禄(1558)から天正時代(1592)に再構築したものとみられています。
平安時代後期の嘉応年間(1169~71)常陸大掾(ひたちだいじょう)氏の一族、行方宗幹(景幹)の四男である幹政が玉造郷に配され玉造氏を称しました。以後その子孫が城郭を整備し隆盛を誇りました。
「玉造町史」より出典
祭りの主役の一人! 玉造城主と大宮神社の神主さん
神輿が4日に神社から町内に渡御し御仮屋に鎮座。5日に町内を渡御した後、霞ヶ浦まで御浜降り。その後神社へ還御し、流鏑馬による納の神事が執り行われます。その時の流鏑馬で矢を射る大役が、玉造城主役です。
『御浜降り』国道355号線を渡り霞ケ浦へ到着!
霞ヶ浦の水で清めこれから大宮神社へ還御します。
上町(上宿)
本町(下宿)
「写真撮ってもいい~~?」の声かけに笑顔でポーズ! ありがとうございます♪
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。